あなたは余命宣告を受けたことがありますか?私はあります!

お元気ですか?仮想㈱TERIOSNET代表取締役のテリオスです。いきなり突拍子もないタイトルで申し訳ありません。

私の母は55歳でがんにより他界したのですが、自分がだんだんその歳に近づくにつれ、もの思いにふけってしまう時がたまにあります。

9月が私の誕生月なのですが、毎回、今日まで無事に生きてこれたなあという思いで誕生日を迎えています。

今回は、私という中身を知っていただきたくて、この記事を書きました。

22歳の時に大腸がん&肝臓がんを発症

もう30年位前になります。会社に就職して社会人1年目をスタートさせた9月頃に、下痢と便秘を繰り返す症状が。

まあ、夏バテで胃腸も弱っているんだろうなあ、と軽く考えていましたが、まさに”腸を握りつぶされた”かのような痛みが全く治まらず、会社を休んで近くの病院へ。

最初は内科でしたが、そこでCTやらレントゲンやら内視鏡やらで検査づくめ。で、内科的には無理なので外科に回され、そこでも採血やらなんやらで検査づくめ。

母も病院に来て付き添ってくれたのですが、その頃になると痛みがひどくて、痛み止め注射を打ってもらっても、短時間で効果が切れてしまうほどでした。

母は担当医の先生から病状について説明を受けたと思うのですが、当時の私は人の話もまともに聞けないくらい、痛みで七転八倒してたので、記憶があいまいのままです。

そんな状況で外科手術の日を迎え、8時間の大手術の末、酸素呼吸器と体から十数本の管がつけられた(まるで改造人間のような)状態で病室に戻りました。

手術直後に母親からの余命宣告

手術も無事終わり、患部(大腸の半分と肝臓の75%)を切除したため痛みはかなり治まり、容体も安定してきたときに、初めて母の口から聞きました。

『お兄ちゃん(母は私をこう呼びます)はね、私と同じがんだったんだよ。手術は成功したけど、余命はもって2年とお医者さんに言われたよ。』

後から聞いた正式な病名は「下降結腸がんおよび肝転移」。結腸とは直腸に近い大腸の呼び名です。

幸い、人工肛門をつけるところまではいきませんでしたが、術後に切除した患部を担当医から見せられた母は、あまりの大きさに絶句したそうです。

握りこぶし位まで、大腸ががんに侵されていたのです。

不思議に納得している自分がいました

母親から、間接的に余命宣告を聞かされた私はどうしたと思います?

実は自分でも不思議なくらい落ち着いていたんです。というのも、入院する前から「もしかしたらがんかも…」という思いがあったからです。それは、母を含め家系的にがんが多いという親戚事情からも、そう思っていました。

だから聞かされたときは、「ああ、やっぱりか」という思いでした。別に覚悟ができていたわけではありませんが、母という先駆者が居たおかげで、平静を保てていたんだと思います。

ただ、自分のこれからの人生に悲観はしていましたね。

2年……こんなんじゃきっと交際とか結婚とか無理だろうなあ、だって相手が引くもの、などという落胆の方が大きかったですね。

当時はお付き合いしてる人はいなかったので、このあたりのショックはありませんでしたが…

自分と同じ病気になった母親から息子への言葉

結果して、今この記事を書いているということは、30年前の余命宣告は外れたのでしょう。

病院を退院し自宅療養しているとき母から、『私たちががんという病気になっているのに、今もこうして生きていられるというのは、きっと意味があるんだよ』、と。

私は今でも、この言葉を思い出し、考えるときがあります。

がん発症と余命宣告を受けたことで変わった人生観

退院し自宅療養を経て、なんとか職場に戻ることができましたが、肝臓の一部に再発の兆候が見られ、再び手術。

この頃、私の遺伝子細胞を調べていた入院先の大学病院から次のことを言われました。

「あなたの遺伝子細胞は非常に珍しい。正常な人に比べ、N番目とN+1番目の染色体に傷があるような状態。がんは細胞分裂の過程で発生するので、あなたの細胞は非常にがんになりやすいと言えます。」

だからといって、治る薬があるわけでもなく、正直そんなことどうでもいい、というのが当時の想いでした。

逸見政孝さんと母の死

気がついて見れば、余命宣告の2年は過ぎており、自分でも”悪運が強いな”と思っていました。しかし、再発の恐れと日々戦う毎日です。

そんな時、アナウンサーの逸見政孝さんが自分はがんであること、そのために仕事を休んで治療に専念しなければならないことを記者会見の場で話されていました。

今は自分の大病を公表する芸能人が多いですが、昔はそんなことはなかったので、逸見さんの会見は衝撃でした。何よりも、自分の病気を公に発表する勇気が。

当時会社員だった私は、自分の病気は上司のごく一部の人にしか告げていませんでした。理由は、周りに変に気を使われるのは嫌だったから。病気のことを聞いてくる人には”良性の大腸ポリープ摘出だったんだよねー”とうそをついていました。

時を同じくして、母ががんで亡くなりました。元々体の強い人ではなかったので、自分でも予感していた感があったように思います。

入院時は家族(父と弟と自分)で付き添いをしていましたが、母が亡くなったのは私の時でした。病室で仮眠をしていると、心電図モニターの波形がフラットになってピーという電子音が。テレビや映画でよく見るあの光景です。わたしは今でもこの場面が映し出されると、体が固まり激しい焦燥感にかられる時があります。

「生きる意味」から「生かされている意味」へ

前述の逸見さんも残念なことに亡くなられてしまいましたが、母の死も含め、この2つのことがきっかけで、私自身の中で何かが変わったことは確かです。

せっかく生かされた命なら、それをまっとうに生きるため、行動しないで悔やむよりも、ダメでもともと、いろんなことにチャレンジしようと思いました。

また、こんな自分でもきっと誰かの役に立つことができるかもしれない、という思いから、何ができるのか、現在模索中です。このサイトの立ち上げもその一つです。

退職してフリーな自分には、幸いたっぷりの時間とそこそこの蓄えがありますので、いろいろアグレッシブに活動していきたいと思っています。

最後までお読みいただき、ありがとうございます

今まで、自分の心情を文章にしたことなどありませんでした。しかも、ブログという形で人様の前に公表することなど。

でも、ここがブログの魅力というか、自分をさらけ出せる場所なんだなあ、と改めて感じました。今回の記事で、少なからず色々コメントを頂けたのも、自分としてはちょっとびっくりです。

私は今、明るく料理の上手な奥さんと3匹のチワワに囲まれ、幸せに暮らしています。そんな日常の中から、読者の方々にとって役立つ情報を発信していきたいと思いますので、今後ともよろしくお願いいたします。